忠七桜(福島県郡山市)H28.4.17
忠七桜は令和1年(2019年)10月の台風の影響で倒木となりました。大変残念ですが、倒木前の情報を記載します。

忠七桜は、郡山市と三春町の境(中田町牛縊本郷)に近い県道144号沿いにあります。県道脇ではありますが、若干細い道を入った場所にあるため、スピードを出して車を走らせると通り過ぎてしまうかもしれません。樹齢は170年のベニシダレザクラで、三春の滝桜の娘と言われていますが、その中でも小さめの桜と言えます。ただし他の付近の桜と違うところは、名前の由来が三春藩・御舘村(現在の郡山市中田町)出身の「宗像忠七さん」という実際にいた方の名前から名づけられていることです。


江戸時代後期の慶応4年(1868年)の会津戊辰戦争で会津は戦地となりましたが、当時少年だった忠七さんは荷物運びとして懲役されました。食料や武器・弾薬を会津へ運び、そこで現地の惨状を目の当たりにします。心を痛めた忠七さんは、故郷に帰るとその供養として祠を建て、その横に自宅前に植えていた桜を移植し、人々の霊を慰めていたとのことです。忠七さんは昭和4年(1929年)に亡くなる前に家族に対し「いつまでも桜を守るように」と言い残したため、5代目となった現在もその桜が守り続けられています。

訪れたときは既にピークが過ぎていましたが、数人の観光客が訪れていました。道を挟んで向かいには展望所もあり、いろんな場所から見ることができます。