中央本線(東京~塩尻)H7年以下不詳
中央本線は東京から山梨・長野方面へ行き、名古屋までを結ぶ路線です。しかし直通運転は存在せず、塩尻以東を「中央東線(JR東日本管轄)」、以西を「中央西線(JR東海管轄)」と呼ぶこともあります。今回は中央東線として掲載をしていきます。

1889年(明治22年)に新宿~立川間が甲武鉄道として開通したのが始まりで、1906年(明治39年)には国有化により御茶ノ水~篠ノ井間が開通、1911年(明治44年)には名古屋まで開通しました。長年東海道本線のバイパス路線としての地位があったものの、東海道新幹線開業に伴いその役割を終えました。しかしながら現在でも信州と東京・名古屋を結ぶ路線として現在も重要な路線として存在しています。

東京から高尾までは近郊沿線として街中を走り、本数もかなり多く設定されています。更に長野方面までを結ぶ特急「あずさ」、甲府までの「かいじ」が一時間に1本づつ設定されており、華やかなイメージがあります。しかし、高尾以西は山間を走るローカル線の色が濃くなり、一時間当たりの本数は、高尾~大月間で1~2本、大月~甲府~小淵沢間で1~3本、小淵沢~塩尻間で1本となります。

大阪に住んでいる時はなかなか見る事がなかった中央東線も、東京にいれば身近な幹線として見る事が多くなりました。東京に住んでいた平成6~8年当時の中央本線は189系や201系が主流で、E351系がデビュー間もない頃でした。平成7年の1年間は車を所有していなかったこともあり、交通手段に頼った外出をしていたため、必然的に鉄道に目が行くようになりました。折角東京に来たのだからと、中央東線については2度ほど特急「あずさ」「かいじ」を撮影するため高尾まで出かけました。撮影地に高尾を選んだのは、単に背景が街中ではなく山里の撮影をしたかったからであり、町の風景が途切れるのが高尾以西だと聞いていたからです。

1度目はネガフィルムでの撮影でしたが、夏の暑い中でも楽しく撮影が出来ました。線路沿いの道をひたすら歩いては撮影場所を探すという原始的な方法でしたが、自然いっぱいの場所を走る車両に夢中になっていました。2度目は冬にリバーサルフィルムでの撮影でしたが、当日は天気が曇り空だったため、暗い場所を苦手とするリバーサルフィルムでの撮影は全体的に暗めの出来上がりで、イマイチの内容でした。徒歩での撮影となると、線路から離れることがないので編成写真ばかりとなり、特に2度目の撮影の後は「どれも変わり映えしないなぁ」と少しガッカリしたのを覚えています。

その後車を購入してからは、鉄道撮影でのお立ち台を巡って・・・とはならず、本来の風景写真に戻っていったため、東京滞在時での中央東線の撮影は2度だけでした。その他は、後程大阪に戻ってから、長野方面に風景撮影に遠征した際に、篠ノ井線で「あずさ」を撮影しただけです。但し、その後15年程経過して、改めて中央本線について調べてみると、189系・201系は勿論、E351系までも廃車になっており、時代の流れが早く感じました。それと共に、あの頃に旧車両を撮影しておいて良かったと思いました。