身延山久遠寺(山梨県身延町)H18.4.23     
  
身延山久遠寺は文永11年(1274年)に甲斐国地頭の南部六郎実長という人が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を身延の地に招き、草庵を構えたのが始まりです。その後弘安4年(1281年)に大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名づけられました。その後すぐ日蓮は病死し、遺骨は身延山に祀られました。身延山には9か月のみの生活でしたが、この寺は日蓮宗の総本山として栄え続けます。

戦国時代には武田氏や穴山氏の庇護を受け、門前町が形成され、江戸時代には日蓮宗が徳川氏をはじめ諸大名の帰依を受け発展し、正徳2年(1712年)には133坊と全盛期を迎えました。しかし寛保4年(1744年)から明治8年(1875年)にかけて7回もの火事により伽藍や寺宝を焼き尽くしましたが、その後復興し現在に至ります。現在も60程の坊があり、東谷・西谷・中谷・奥の院参道・七面山参道と5ヶ所の塔中に分かれています。

久遠寺を訪れたのは撮影を始めた頃で、当時はネットもなかったため情報もあやふやでした。本堂のシダレザクラが見事で、早朝の朝霧もあって幻想的な写真を撮影できたのは良かったのですが、現在のようにいろんなアングルを求めたり、他に桜はないかと探したりせず、数枚撮影して寺を離れてしまいました。久遠寺の桜は、本堂付近の他に、西谷塔中の桜が有名であることが分かったのはかなり後の事で、その悔しさからその後2度も大阪から車を飛ばしてチャレンジをしたものの、全く開花時期が合わずに玉砕してしまいました。私にとって絶対にリベンジをしたい場所の一つです。