宝蔵寺(奈良県東吉野村)
H18.4.15・R6.4.6
宝蔵寺は橿原市から国道166号(榛原街道)を三重方面にひたすら進んだ山奥にあります。国道沿いにあり、それほど敷地は広くありませんが、駐車場が綺麗に整備されています。

1863年江戸の最期に尊皇攘夷を唱え、明治維新の先駆けと言われる「天誅組」の終焉の地として知られ、宝蔵寺にはそのうちの1人の義士である「池田謙治郎」の菩提寺となっています。

本堂前には桜の巨木があり、満開時には車で通りすぎてもすぐに気づきます。桜は樹齢430年のエゾヒガンザクラで、高さ10m、幅3.1m、幹囲3.63mの立派な巨木です。東吉野村の天然記念物として指定されていますが、主幹には大きな空洞があり痛みが目立ちます。

1598年に豊臣秀吉が京都・醍醐寺で豪華絢爛な花見を開催した際、全国から700本もの桜を移設させたのですが、その情報を元に現在の醍醐寺の桜と全国の桜のDNAを調べた結果、宝蔵寺と醍醐寺の桜のDNAがほぼ一致していることから、400年前に豊臣秀吉が眺めた桜が宝蔵寺の桜と深い関係にあることが分かりました。

未だ美しい花を咲かせる姿を見ると、大切に育てられてきたことがよく分かりますが、それでも今後のためを考えてか、境内奥には同桜の枝木に接ぎ木をして植えた二代目の桜があります。昭和後期に植えられたので、既に立派なシダレザクラの姿をしています。