法金剛院(京都市右京区)R5.3.26
法金剛院は律宗(あまり聞かない宗派ですが、唐招提寺と同じ宗派だそうです)の寺院で、天長7年(830年)に右大臣・清原夏野が建てた山荘を、本人の死後に双丘寺(ならびおかでら)と称したのが始まりです。その後天安2年(858年)に文徳天皇が寺内に伽藍を建て、名前を天安寺と改名しました。

平安末期の大治5年(1130年)に鳥羽天皇の中宮・待賢門院が天安寺を復興し、法金剛院と改名しました。その頃には中央に池を作り、池の周りには西御堂・南御堂・寝殿を作りました。また、庭園内には青女の瀧(日本最古の人口の滝とされています)を作り、極楽浄土を模した庭園としました。

その後三重塔・東御堂・水閣が軒を並べ、発展したものの、応仁の乱や天正・慶長の震災で多くを失いました。元和3年(1617年)に本堂や経蔵等が再建されましたが、昔の姿にまでは戻らなかったとの事です。しかし、現在も本尊・阿弥陀如来が国宝に指定されるなど、多くの重文を貯蔵しており、当時の栄華を垣間見ることができます。

境内はJR花園駅の真ん前にありますが、駅構内にある地図を見ると、近くにある妙心寺・仁和寺・龍安寺と比べて扱いが小さく、地図を見ただけでは法金剛院の場所が分かりませんでした。しかし駅を北側に出ると間違いなく法金剛院の大きな垣根が見えます。道の向こう側に渡るための信号が意外と遠いですが、信号のすぐ目の前が入口になっています。

中に入って、暫く桜の姿が見られないので不安になりましたが、庭園内に入って本堂の目の前に中ぐらいの大きさのシダレザクラが見頃を迎えていました。シダレザクラは見事ですが、他には庭園の入口付近に小さなシダレザクラと、本堂の奥にソメイヨシノが数本ある他は桜はありませんでした。桜の名所としては寂しい上に、雨天のため人が殆どおらず、広い池と苔むした綺麗な庭が物悲しく見えてしまった気がしました。それでも主役の桜を生かした写真を撮影しようと、結構長い時間粘りました。

その中で、折角の雨天なのだからと、花びらに付いた水滴を狙って撮影しました。雑誌に「水滴の中に桜の木や花が映っている」写真を見て、私もこんな風に撮影したいと思ったことを思い出しましたが、これがなかなか難しかったです。あまり視力が良くない中で、必死に水滴の中を覗いては撮影したものの、撮影するまで何が映っているのがさえ分からない状況でした。そんな撮影の中でも、まだマシな画像を掲載します。