五能線(東能代~川部間)H12.5.5
五能線は奥羽本線から離れた能代市街地のために、奥羽線に接続するための支線として1908年に能代(現在の東能代)と能代町(現在の能代)間に開業したのが始まりで、後に「能代線」と命名されました。後に能代線は延長され、当時川部~五所川原間で1918年から開業していた陸奥鉄道も青森側から延長した結果、1936年に陸奥岩崎~深浦間で繋がり、同時に「五能線」と改称されました。陸奥鉄道は1927年には国有化されており、機織(現在の東能代)~深浦~川部間が国鉄として運営されるようになりました。そのため五所川原と能代を結ぶ路線というのが本来の路線名の由来ですが、実際は川部と能代を結ぶ路線となって今に至ります。

運行形態は能代側は殆どが東能代~能代間のみで、岩舘まで行く車両も設定されています。青森側は全列車が弘前まで乗り入れており、全列車の半数が弘前~鯵ヶ沢間で運行しています。鯵ヶ沢~岩舘間は4~7時間運転されない時間帯があります。地元住民の乗車数は少ないものの、日本海に沿って走る景色の良さから、数多くのリゾートトレインが走る路線です。その風光明媚な風景と列車を撮影しようと訪れましたが、その場所は先述の鉄道本数が限られた地域に密集しており、撮影チャンスが極めて限られる辛い状態でした。優先的に岩舘~大間越間、追良瀬~驫木間を押さえましたが、もっと撮影したい場所はありました。更に国鉄車両であったキハ40は既に無くなり、その姿を少ししか撮影できなかったのも寂しい限りです。