永観堂(京都市左京区)R4.11.19
永観堂は通称で、正式名称は「禅林寺」という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。仁寿3年(853年)に、空海の高弟である真紹が付近の山荘を買い取り、寺院を建てたのが始まりです。当初は真言宗の道場でしたが、後に念仏の寺へ変化した後、浄土宗の寺院となっています。念仏の寺へと変わったのは、中興の祖とされる7代住持の永観(ようかん)であり、その名が永観堂と呼ぶ由来となりました。

応仁元年(1467年)の応仁の乱により大きな被害を受けましたが、明応6年(1497年)に後土御門天皇により再興され、明治9年(1876年)には浄土宗西山派の東本山となるものの、西山派が内紛により3つに分裂し、禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山となりました。

昔から永観堂は紅葉の名所で知られており、山の中腹にある多宝塔と、手前にある放生池を彩る紅葉の姿が有名です。紅葉の時期の美しさは知っていたものの、入場料が強気の1000円(普段の時期は600円)であることもあり、塀の隙間からチラリと紅葉を覗いて、1000円の値打ち程の見頃でなければ入場せずに引き返すようにしていました。その結果、遥か昔(恐らく25年程前)に入場した後に再入場したのは令和4年と、とんでもなく期間が開いてしまいました。その間に4回程訪れては、見頃を外して諦めていました。

令和4年は、すぐ近くにある南禅寺の紅葉が過去一番の見頃だったため、勝負をかけて永観堂にも入場したものです(1000円をケチるのも恥ずかしいですが)。受付から入ってすぐにある釈迦堂前の紅葉は綺麗でしたが、若干見頃が過ぎていたのかアップで撮影するには若干難しい内容でした。進路通りに釈迦堂に入り、廊下を渡って千佛洞・御影堂と歩いて行きますが、さすがに紅葉のピークにおける境内の混雑はすごく、全く先に進みません。やっと御影堂から外に出ると、御影堂を覆う紅葉がとても美しかったので、しばらく撮影をしました。その後石段を降りて行き、放生池の周辺を廻るように歩き、対岸の広い場所まで進みました。そこは例の多宝塔を望む一番有名な構図を見ることが出来る場所だったので、私も多宝塔と紅葉の構図を多く撮影したものの、放生池に映る紅葉が綺麗だったので、そちらをメインとした画像をより多く掲載しています。

放生池付近の紅葉は見頃のピークで、アップで撮影しても全く遜色ない素晴らしい紅葉でした。入場料が高い分、紅葉の手入れもしっかりされているので、モミジも元気で見ごたえがありました。混雑していたこともあり多宝塔方面には登りませんでしたが、また改めて訪問したいと思います。