醍醐寺(京都市伏見区)H31.4.7     
  
醍醐寺は平安時代初期の貞観16年(874年)、弘法大師空海の孫弟子である聖宝が笠取山上にお堂が建てられたのが始まりです。その後山頂付近(現在の上醍醐)を中心に、修験者の霊場として発展しました。延喜7年(907年)には醍醐天皇の手厚い保護の上に薬師堂・釈迦堂等の「下醍醐」が作られました。

その後室町時代の応仁の乱等で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残る状態となりましたが、豊臣秀吉によって「醍醐の花見」が醍醐寺で行われることがきっかけで再興されました。明治時代の廃仏棄釈により数多くの寺院が廃寺等となりましたが、その時に守り抜いた寺宝は昭和10年(1935年)に開館した霊宝館に収められています。

現在は入口付近に霊宝感・三宝院があり、その背後に伽藍があります。この部分全体が下醍醐であり、そこから上醍醐がある笠取山山頂まで徒歩1時間です。なお、以前は山頂に西国三十三所札所があり、「西国一険しい札所」と言われていましたが、2008年(平成20年)8月の落雷により札所のあった准胝堂が全焼したため、現在は下醍醐の観音堂に仮に移されています。

先述の「醍醐の花見」では全国から桜を集めたことで、醍醐寺は現在のような桜の名所となりました。入口から伽藍に向かうまでの参道の両脇が桜で埋め尽くされています。また、霊宝館には樹齢180年をはじめとする大きなシダレザクラが数本あります。

総門(醍醐寺の入口)から霊宝館・三宝院を横目に、桜に囲まれた参道を進むと、目の前に仁王門が見えてきます。仁王門をくぐると、先ほどの華やかな雰囲気から、暗くてうっそうとした森の中に入っていきます。しばらく進むと視界が開け、伽藍が見えてきますが、伽藍には昔からの建築物が多く残っており、その時代の雰囲気を十分に感じることができます。

中心にある金堂(国宝)は豊臣秀吉により、和歌山・湯浅から移築されたもので、平安末期の建築です。本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代に作られたものです(重要文化財)。また、五重塔(国宝)は醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し、村上天皇の天暦5年(951年)に完成しており、京都府下最古の木造建築物です。その他にも清瀧宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂などが存在します。ちなみに伽藍の最奥付近にある観音堂は現時点での西国三十三所の仮札所になっています。

杉林に囲まれた伽藍の中にも桜はあります。数は少ないものの、入口から手前付近にある清瀧宮本殿・五重塔・金堂付近と、一番奥にある観音堂・弁天堂付近です。五重塔付近は背の高めなシダレザクラが多いですが、心持ち細い幹の桜が多く感じました。逆に観音堂付近の桜は背は低いものの、しっかりと花を付け元気の良い桜が多かったです。

桜の時期は醍醐寺を訪れる人の多さにびっくりしますが、意外にも伽藍最奥まで来る人が少ない事にも驚かされます。さすがに上醍醐に行かれる人は少ないと思いますが、伽藍最奥まで歩かれることをお薦めします。